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らじおからふほうが

阿部謹也が亡くなった。

訃報はニュースでも流れたが、「ドイツ中世史の第一人者で元国立大学学長」
というような亡くなった人間のプロフィールを聞いただけでは、一般の人は、
「ああ、偉い学者さんが亡くなったのだなあ」というような思いしか抱かな
いだろう。
「『ハーメルンの笛吹き』や『刑吏の社会史』で独自の歴史観を切り開き、
晩年は、世間論を中心とした日本社会の分析に精力を注いだ」というような
解説でも、「そんな人もいたのだなあ」という感慨しかもたれまい。

阿部謹也は、日本社会において、「誰も言葉にこそは出さないが、誰もが自
明と考えている不可視のシステム」である「世間」に、徹底的に拘った。
こういうことは、学者の世界では好まれないし、一般の人にも受け入れら
れない。なぜなら、「自らが安心して発言をしている拠り所」となるよう
なものを、自らの手で切り刻むことで被害を被るのは、自分自身に他ならな
いからである。

ほとんど全ての人間は、こうした「自明のもの」を疑って崩そうとするこ
となど、およそ想像することさえできないことである。特に、理系の学者
は、自らが「真理を探究すること」ができる立ち位置というものを、反省
的に考えることができる人が、ものすごく少ない。そうしたものを反省す
ることが使命であるはずの文系の学者、時に社会学者でさえも、そうした
ことができる人は、希であろう(実際、アカデミズムの内部において、阿
部の晩年の仕事を評価する声を聞いたことがない)。

私は、阿部謹也に対して、2つのことを負っている。
1つは、10代の頃、自分が「学ぶこととは何か」というような思いを抱い
たとき、それに対する解答に近いものを与えてくれたのが、阿部謹也の著
書だったことである。
学問が、単なる「知っているとみんなに自慢できる雑学知識」でも、「aha
体験を感じさせる装置」でもなくて、「自らの存在の根底を問い直す作業」
であるのだ、ということを私に理解させたのは、阿部謹也の著作だった。
(しかし、私はそれに失敗してしまったのであるが・・。)

2つ目は、上記の「世間論」を読むことで、自分が「問題」と考えている
ことが、「世間」の問題と深く関わっていることを気づかせてくれたこと
である。その後の私の「モノの見方」が、それにより深く影響されたこと
は、間違いない。

阿部謹也の思想は、突き詰めたら、とても恐ろしいものである。
そして、強い人間でないと、貫くことができない考え方である。
考え方、というよりも、「生きかたと不可分の思想」なのだが。

ある意味では、それは「子供の思想」なのかもしれない。
「大人の世界=世間」に馴染みきってしまった私たちに、それを反省する
機会は与えられるのだろうか。

ご冥福を心よりお祈りします。(敬称略)
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阿部先生とのひととき | もちもちはまがっこう | 2006/09/11 10:41 AM
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- | - | 2007/02/17 8:35 AM