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「わたしを離さないで」以外はご存知ですか?

カズオ・イシグロがノーベル文学賞を受賞しました。

 

一番好きな作家。

全作品読んでます。

 

つい最近も、英語原作の「日の名残り」を読んでいる最中でした。英語でも全部読みたい、と行きたいところですが、「充たされざる者」を英語で全部読める気がしません(汗)

 

写真の中では、「夜想曲集」とかお薦めでしょうか。イシグロはかなり表現の幅の広い作家ですから、「日の名残り」のようなイシグロの王道を行くモチーフとはまた異なって、こんな作品も書けるんだ、って驚かされる短編集です。爆笑がとまりませんでした。また、繊細なイシグロの世界しか知らない人は、「わたしたちが孤児だったころ」のある種暴力的な世界には驚かされるだろうし、辞書か?とツッコミを入れたくなる900ページある「充たされざる者」の右往左往の世界には、眩暈がしてくることでしょう。

 

イシグロは、どちらかというと「あまり脚光を浴びることが好きではない」人間、世界の片隅で生きているような人間が好んで読む作家ように思います。「わたしを離さないで」以外は、万人受けするとは、あまり思えません。それと比べると、「ハルキスト」の人たちは、「表の世界の人々」という感じがしますね。毎年、文学賞受賞の時のお祭り騒ぎを見ていると、全くの異人種という気がしますね。

 

ニュースのトップにイシグロが出てきたりすると、ちょっと気恥しいような不思議な気分ですが、まずは素直に受賞を喜びたいかと思います。

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破格の自伝、というかぶっちゃけ過ぎです

「田中克彦自伝」読了。

 

読むのが遅い私にしては、異常な速さで読んでしまいました。

あまりに面白い、というか、1ページの隙もなく面白い、というか。

というより、「身もふたもない」というか「あからさま」というか、こんな自伝は読んだことがありません。

 

もちろん、俗っぽい話が満載の自伝は、巷ではいくらでもあるでしょうが、出てくるのは、日本を代表するようなお偉い「学者様」ばかり。どれも実名入りで、もちろん多くの方が故人であるから、さほど問題はないでしょうが、存命の方たちが読んだら、たぶん心穏やかではない記述も多々あることでしょう。

 

とはいえ、この先生は、学問を、極めて「人間的な」営みと考えて、それを実践してこられた方だからこそ、こういう自伝が書けたのだとも言えます。学問をやる人間は、世間一般の常識や、家庭人としてのマナーからしたら、かなり「困った人」になってしまうのだろうけれど、常識的な人間には、このような破格の学問は、全うできないのかもしれません。

 

それで、その論法から行くと、私に学問はできないのだろうなあ、などと思わされました。

続けて「阿部謹也自伝」も読むと、対照的なのでそちらも読むことにします。

 

 

 

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博覧強記な天邪鬼でしょうか

「田中克彦自伝」を読み始めました。

 

この先生の本は、どれを読んでもぶったまげるというか、視点が常人離れしているので、読んでいて飽きないです。自伝もまた、彼の天邪鬼精神?がふんだんに発揮されて、たいそう面白い。

 

思い出すまま、徒然なるままに語られるエピソードが、面白い話が満載。

今読んでいるあたりから、いくつか抜粋してみると、

 

そのおねえさんという人の小学校時代の思い出話に同級生のシュンちゃんという、いたずら坊主がいて、女の子の弁当箱をのぞいてまわっては、あっ、お前の弁当にはアリンコが入っているぞとか、ああチンポコが入っているぞなどと言ってまわったというのである。それぞれ、紫蘇穂、たらこを指してそう言ったらしいのである。このシュンちゃんとは、後に詩人となるあの谷川俊太郎であることは、場所や、このおねえさんなる人の年齢から言ってまずまちがいないと思っている。

 

とか、

 

ここでついでに、マッチとともに柳田がせっかく馬鈴薯の方言を扱っているのだから、そのことも述べておきたい。今日は「ジャガイモ」が一般化したが、それ以前は「オランダイモ」「カライモ」「バカイモ」などと各地がそれぞれの呼び名を持っていたが、ぼくの注意を引いたのは、滋賀県湖東の「キンタマイモ」である。

なぜぼくがこの語に関心を持ったか。モンゴルではジャガイモのことを「トムス」というからである。トムスとは、やはりキンタマのことであり、発想が同じであることに驚くのである。

 

とか、

 

学校に行く楽しみは、教室で誰かが連れてきたタヌキを飼っていたからだ。太い鉄格子のついた箱の中に入れられたタヌキで、みんな思い思いのえさを持ってきて食べさせた。タヌキが一番喜んだのは、生きたヘビだった。おりの中にヘビを押し込むと、タヌキはそのヘビをしっぽからバリバリと音を立てて食べた。

 

とか。

 

すいません、よく見ると、下ネタ??と怪しい話ばかりのところばかりで(汗)

 

こういう「型破り」な学者も、もうこれからの日本では現れないかもしれないなあ、と、ちょっと感慨深く思いました。まだ読み終わってないので、とりあえず続きを読もうかと思います。

 

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ストレス解消の衝動買い

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なんだか、色々とスランプのため、休日がグダグダです。

そういう時は、うっかり本屋に入ってしまい、本を衝動買いしてしまいます。

今日買った本。

仝生豎悗寮鏝紂       田中克彦
日本語が亡びるとき    水村早苗
ダライ・ラマ入門      長田幸之
だ坐必死200問     青野照市
イ修个發鵝10巻      山本おさむ
Ε戞璽轡奪アトラス 中国地図帳


 崟錣Ω生豎惻圈廚痢峽狙」史。内輪話として、へーーーっていう感じです。

△泙斉匹鵑任覆ったので、買いました。

I要があって、買いました。

い箸討發泙箸泙辰討い董⇔匹気修Δ任后I死は、案外苦手です。

ゥ肇泪箸修个力辰任垢あ。食べたことないです。

ξ匹っ録淞△辰董△覆い任后!本当に!! あらゆる地図に、私は不満あり。
私自身が、地図を作ってみたい。絶対に、もっと良い地図を作れる自信あります!!平凡社さん、やらせて下さい!!!


他にも、みつからなかった本を、ネットで4冊購入しました。今日、いくら使ったのか?

午後は、喫茶店で本を読んでました。

スランプは、抜け出せそうにありません。。。。。。。

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ほとんどは「寝かせていた」小説ばかり読んでいた1年でした

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今年読んだ小説。覚えている限り。
ベスト10、というか、たいして読んでない。。。
(読んでも忘れてしまう。また通読したもののみ)

‘の名残り (カズオ・イシグロ)
魚服記(太宰)
K渉(村田喜代子)
ぅぅリスはおいしい(林望)
ザ盂媚(三島)
Εャチャー・イン・ザ・ライ(サリンジャー村上訳)
1Q84 BOOK1〜3(村上)
┐Α次次爾
百年の孤独(マルケス)
もう覚えてないです。ないかも。


〆Gの断トツベスト。何を今頃??でしょうけれど。。。

太宰の小説をまとめて片っぱしから読んでました。魚腹記以外は、飲んだくれて借金こしらえていたことしか覚えてません。

今年の一番の発掘。とても地味ですが、面白い小説を書く人です。

ぞ説ではなくてエッセイですが、イギリス関連のものを色々読んでました。確かにイギリスの食事はいまいちです。

ゼ造禄蕕瓩督牝匹靴拭昔読みかけてなぜか途中でやめたので。三島関連の文献も、少し読んでました。

Δ海譟⊇颪れたの1949年くらいだったはずなのですね。太宰の戦争直後の小説と比べて、同じ年代に書かれたものとして、住んでいる世界の違いに驚いていました。もちろん、太宰やサリンジャーとも全く違う1949年を生きていた人も、たくさんいたはずですよね。1949年のアメリカに、現在2010年と地続きの世界がすでにあったことが、発見でした。

BOOK3発売直後くらいに、一気に通読しました。色々言いたいことはあるが、いつか。

┐Α次次爾鵝

まだ読み終わってません。

何か読まなかったっけ?覚えてないなあ。

・・・・村上の作品以外、今年発売された小説が全くありませんねえ。。。。

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この世でいちばん大事な「カネ」の話 (よりみちパン!セ) (よりみちパン!セ)

以前にも、西原理恵子のマンガが「タダモノではない」領域において
書かれてある、ということは話しました。西原さんのマンガは、軽い
気持ちで、「単なるヘタウマ絵の体当たりルポルタージュ」として笑い
飛ばしながら読むこともできます。しかし、その奥に、我々の住んで
いる日常の世界を吹き飛ばしてしまうような、恐ろしい視線が貫かれ
ていることに私が初めて気づいたのは、以前紹介した「ぼくんち」を
読んでいる最中のことでした。そのとき、本当に私は、私の地面の下
が、ぐらぐらと揺れているような思いをしました。

本書は、「カネの話」と銘打っているので、もしかしたら最近ありがちの
マネーゲームの話とか、あるいは節約術の話などと勘違いしてしまう人
もいるかもしれません。しかし本書の内容は、「西原理恵子の半生記」
というべきもので、西原マンガの舞台裏で何が進行していたのか、その
マンガの背後にどんな思想が貫かれているのか、そして私が先述した
「西原マンガのオソロシサ」の根源とは何なのか、ということを、余すこと
なく語り継いだ本です。

彼女の生い立ちや経験してきたことは、西原マンガの読者ならば、概ね
は知っているはずです(ただ、彼女の父親の話は、初めて知りました)。
しかし、それをトータルとして、さらに細部に渡ってこうして語られると、
彼女の全体像が、よりくっきりと見えてくる感じでした。

彼女がマンガで描いた領域は、麻雀その他のギャンブル、叙情派子供マ
ンガ、恨みシュランのようなグルメ(?)、第三諸国の放浪記、戦う母親の
子育て奮闘記、四国の最貧の田舎の人々、アルコール中毒について、な
ど、あまりに多岐に渡っているように見えます。彼女が描く現場は、アジア
の最果ての国々の子供たちが丸一日働くスラム街から、家一軒分のカネ
が一瞬にとんでしまうFX相場、さらには我々に身近な子育ての現場まで、
あまりにも多様であるように思えます。しかし、この本を読むと、それらが
全て矛盾なく繋がっていることに、納得してしまうのです。

それにしても、一生の間に、これだけのことを経験している人間は、そう
はいないでしょう。いや、これだけのことを経験しつつ、なおかつそれに
負けずに、それを跳ね返す思想(などという高尚なものからは一番遠い人
ですが)を紡ぎ出した人間は、そうそうは思いつきません。例えば、現代
の思想家や哲学者(と自称している人)、あるいは政治家の中で、彼女の
人生から紡ぎ出された言葉に拮抗することができる人間が、果たして何人
いるのか?

例えば、彼女にとって「おカネ」とは、ワンクリックで数千万が稼げてしまう
ようなマネーゲームの「マネー」などとは正反対のものです。彼女にとっ
てのお金とは、高知の漁師町において、「皆魚を採った手でお金を触るた
めに、魚の匂いが染み付いたお金」のことです。
おそらく、ここで書かれている人生とは、若くして新興IT企業のトップに登
りつめてしまい、巨額のマネーゲームに翻弄された青年社長の人生とは、
対極にあるようなものなのでしょう。

なお、この「よりみちパン!セ」のシリーズは、中高生向けに書かれているた
め、読みやすい会話調で、読み仮名のルビが振ってあります。中高生に読
ませるには、余りに生々しい話も多くありますけれどね。

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Tragedy is well-made.

「こころ」について、また考えた。

最近強く感じるのは、「Tragedy is well-made.」(悲劇とい
うものは、よくできている)ということである。

悲劇が起こると、「誰が悪いのか?」ということを問い正し
たくなる。人間に良心がある限り、誰もが悲劇は避けたいか
ら、その原因が何かを解明したい、その責任を追及したい、
と思うことは、ごくごく自然なことだ。

しかし、悲劇が悲劇たるゆえんは、誰もが自然の理に従って
行動した結果、避けがたい結果として、起こってしまう、と
いうことにあるのだと思う。
もちろん、途中で誰かが違う行動を取っていれば、それは避
けられたかもしれない、と想像することはできる。しかし、
恐らくはそれは想像だから言えることで(あるいは後付けだ
から言えることで)、現実には、その場の行動の選択として
は、それ以外の選択肢は、あり得なかったのだ。

だから、「悲劇はよくできている」。まるで、運命の糸に導
かれたかのごとく、登場人物が「自然の理」に従って行動した
結果、すべてが協奏曲のようにある1点に集約していって、
見事な(?)結果を生み出すからだ。
そして、その集約ポイントには、神様が仕組んだとしか思え
ないような、偶然が絡んでいたりするから、ますますたちが
悪い(逆に見事だ、とも言える)。

Kが追い込まれていった過程も、先生が悪かったのだ、とい
う考え方もできる。しかし、先生の行動も、表面上は咎めだ
てできるようなことは、恐らく何一つない。人間というもの
は弱いものであり、ある程度は自分勝手なものであるから、
同じような状況に置かれれば、万人の誰しもがするであろう
選択を、先生はしていっただけなのだと思う。

そうして悲劇は起こる。
ひどい言い方をすれば、「Kは死ぬべくして死んだ」という
ことになる。
悲劇的な人物は、自然に悲劇的である。最後には、全ての出
来事、すべての偶然、すべての登場人物が協力して、「見事
な」彼の悲劇の形成を作り出したのだ。

・・・というようなことを、今日は考えていました。
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こころころころ

夏目漱石「こころ」を久しぶりに読んだ。
一番違和感を覚えたのは、死地に臨んだ先生が、お嬢さん(妻)を、「純白
のまま」に残していたい、という以下の下りである。

 私は私の過去を善悪ともに他(ひと)の参考に供するつもりです。しかし
 妻だけはたった一人の例外だと承知して下さい。私は妻には何にも知らせ
 たくないのです。妻が己(おの)れの過去に対してもつ記憶を、なるべく
 純白に保存しておいてやりたいのが私の唯一(ゆいいつ)の希望なのです
 から、私が死んだ後(あと)でも、妻が生きている以上は、あなた限りに
 打ち明けられた私の秘密として、すべてを腹の中にしまっておいて下さい。」

実はこれは、「こころ」の最後の部分。
しかし、この世でただ一人残される妻の味わう地獄を、先生は理解して
いるのだろうか?それが、愛している人間に対する仕打ちなのだろうか?
私は、先生のこのような見方、女性を「保護されるべきもの・純白である
べきもの」とみなす見方が、悲劇を生んだのではないか?とさえ思った。
これは、漱石自身の見方でもあって、時代の考え方に縛られたものだから、
ある程度は仕方がない。けれど、こうした見方がなければ、先生はKのこと
をお嬢さんに打ち明け、そして別の道を選ぶこともできたのではないか?
打ち明けられるお嬢さんは辛いが、先生を失う辛さに比べればましだし、
お嬢さんはそれに耐えられるほどに、強い人間だと思う。つまり、先生は
(=漱石は)、女性をその程度のものとして、みくびったのだ。

高橋源一郎は、漱石や川端をおそらくその典型として念頭においた上で、
「日本の代表的小説は特殊である、なぜならば、それらはみな一高・東大
生の恋愛を描いたものばかりだから」といったことを繰り返し言っている。
全くその通りで、そう考えると、彼らの小説は、勤労の必要のない、社会
の泥にまみれることの少ないエリートの(彼らはずっと本を読んでばかり
いる!)、ひ弱な恋愛体験が描かれていることがほとんどだ、といっても
過言ではない。私たちは、国民小説としての新たな「こころ」が必要なの
かもしれない・・・などと思ひました。
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